赤坂見附の夢のバー
岸本佐知子
翻訳家

赤坂見附の夢のバー

いい酒場、記憶に残る酒場ってなんだろう。各界の一流が綴る、忘れられない酒と酒場の物語。第6回は翻訳家の岸本佐知子さん。


 赤坂見附と赤坂を結んで三本の通りが平行に走っていて、その真ん中の通りのどこかをひょいと折れ曲がった細い路地に、その古いバーはあった。私はひどい方向音痴で、たまに曲がる場所を間違えてたどり着けないこともあったから、小さな看板を見つけると、いつも「ああ、あった」と安堵した。


 「グリニッチ」に会社の人たちに初めて連れていってもらったのはもう四十年以上前で、それから何度通ったかわからない。山荘風の、白い漆喰の壁に焦げ茶の柱のファサード。内装も同じ焦げ茶の壁板、紅のビロードのソファ。カウンターの後ろの壁にはウイスキーやラムやウオツカやジンのボトルがずらりと並んだ、正統派のバーだった。

 赤坂の、びかびかと絢爛な街から一筋入るとそこだけ別世界の森のようで、私がいつも「ああ、あった」と安心したのは、店の存在そのものが夢みたいだったからでもあった。

カウンターには白シャツに蝶ネクタイのマスターと、着物をびしっと着た恰幅のいいママがいて、無口なマスターがシェイカーを振り、ママがよく通る声できびきび采配していた。

 「グリニッチ」で私たちは、実にいろいろなお酒を飲んだ。ハイボール、ラムのソーダ割り、グラスホッパー、サイドカー、アメリカーナ。何をいくつ頼んでもマスターは注文をすべてそらで覚えていた。席に着くとまず熱いおしぼりと乾き物が出て、途中で平たくつぶしてチーズを載せたガーリックトーストとフルーツが出てくるのもうれしかった。


 世紀の変り目ごろに、ママの姿が見えなくなった。亡くなったらしかった。それでもマスターは変わらず一人でカウンターの中に立ちつづけた。

 カウンターの向かい、ちょっと昔の列車のようにベンチが向かい合わせになった席が私たちの特等席だった。マスターは決して私たちの会話に入っては来なかったけれど、たまに猥談をしていると、いつも静かにかかっているマーラーの五番が急にぐわーっと大きくなったりした。

 あるとき行くと、壁にロープを張って、ネクタイが山ほどぶら下がっていた。店が四谷からこの場所に移転して五十周年の記念なのだという。ネクタイは笑っちゃうくらい派手な柄ばかりだったけれど、男性たちは喜んで何本かもらっていった。


 その前後から、マスターの耳が遠くなりだした。注文のときメモを取るようになり、足元がやや覚束なくなった。私たちは注文をハイボール一択に統一した。それでもたまに数が合わないことがあった。あの路地を曲がって看板が見えたときの安堵は、ひときわ深くなった。

 コロナが襲来した。店にはシャッターが降り、〈○月○日まで休業します〉の貼り紙があった。貼り紙の上にまた貼り紙が貼られ、日付はどんどん延びていった。

 そしてある日とうとう、あの路地を曲がると、店は本当になくなっていた。山荘風のファサードが取り払われ、つるりと白いコンクリートの壁だけになった入口の前で呆然と立ち尽くした。あれはやっぱり夢だったのか、と途方に暮れた。でも、長い長い、素敵にいい夢だった。

岸本佐知子
翻訳家

きしもと・さちこ/翻訳家。訳書にルシア・ベルリン『掃除婦のための手引書』(講談社)、ミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』(新潮社)など多数。9月末にマーガレット・アトウッドの短編集『ダンシング・ガールズ』が白水社より復刊予定。著書に『ねにもつタイプ』(筑摩書房)、『わからない』(白水社)などがある。

*記事内には飲酒や飲料店に対する著者の個人の見解も含まれています。

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