若き日のほろ苦き思い出
いい酒場、記憶に残る酒場ってなんだろう。各界の一流が綴る、忘れられない酒と酒場の物語。第11回はイラストレーターのみうらじゅんさん。
ウイスキーにまつわるほろ苦い思い出は、ひとつだけある。
それは美大を卒業し、フリーランスの道を歩み始めた20歳半ばの頃──。
なんていうと聞こえはいいが、就職できなかった者には選ぶ選ばないにかかわらず、その道しか残っていなかった。ただ、それだけの理由である。
「不安じゃないの?」と、周りからよく聞かれたが、そんなことを感じる暇もなく出版社にせっせとイラストや原稿の持ち込みをしていた。
その甲斐あって、少しずつではあるが仕事の依頼も増えた。
でも、それは得意なジャンルのものばかりではない。断りたいが駆け出しのフリーとしては「喜んで!」と引き受けるしかない。結果、「書き直し」を命ぜられることもよくあったのだけど。
“本当にしたいことはこれなのか?”
初めて己への疑問も湧いてきた。
そんな時、美大時代の友人から電話があって「久しぶりに呑みに行かないか?」と、誘われた。
卒業してから一度も会ってなかったし、その誘いはとても嬉しかったが、
「じゃ、六本木で待ち合わせしよう」
と言われ、困った。
新宿や渋谷ならわかるけど、僕にとってそこは無縁の場所だとおもってたから。
大人でオシャレな街に対し、“ロックじゃない!”と、毛嫌いしてたこともある。
それでも、指定された待ち合わせ場所に向かったのは、フリー故の性。
その友人は、有名な広告代理店に勤めていた。要するに“最強のクライアント”だったのだ。
彼に会えば“いい仕事”がもらえるんじゃないかと甘い考えを持った。
友人はスーツ姿、僕はTシャツにGパン。
「どこ飲みに行くんや?」
と聞くと「たまにはバーもいいんじゃないかと思って」と言っては歩き出した。
“たまには?”
もちろん僕は生まれて初めて入ったアダルトなカウンターバー。メニューもよくわからずモジモジしてたら友人は「俺と同じのでいいか」と言った。
しばらくして運ばれてきたウイスキー。高そうなグラスの中には大きな円形の氷が一個、ドカンと入ってた。
友人はチビチビ呑み始めたので、僕もそれに従った。「何、コレ⁉︎」と、思わず声が出たのはその味。めちゃくちゃ美味しかった。
友人が「今日は僕の奢りだから」と、言ったもので結局三杯もおかわりした。これが、唯一のほろ苦い思い出だって、仕事の依頼話など全くなかったから。
でも、美味しいウイスキーのお陰で六本木も悪くないと思ったし、今では何よりも僕に別世界を見せてくれた友人に感謝してる。
1958年生まれ。80年に漫画雑誌『ガロ』誌上でデビュー。以来、イラストレーター、作家、ミュージシャンなど幅広い分野で活動。著書に『「ない仕事」の作り方』『アウト老のすすめ』など。新刊『ブツゾー・キッド』がが3月19日に発売。
*記事内には飲酒や飲料店に対する著者の個人の見解も含まれています。