しまおまほのイラスト
しまおまほ
エッセイスト

後悔

 友人の結婚式の夜だった。披露宴のビュッフェの行列に並ぶのが面倒で、終わった頃にはすっかりお腹を空かせてしまった仲間と二次会までの時間に軽くイタリアンに寄ることにした。ニンニクたっぷりのトマトパスタが今まで食べた中で一番美味しいと、わたしの皿に一口分けてくれようとする仲間の手を、先にピザで胃袋を満たしたわたしは「これから素敵な出来事があるかもしれないじゃん!」と冗談を言って止めた。


 披露宴で、わたしは余興をした。裸タイツの上から臍のあたりまで切れ込みの入ったレオタードを縫いつけた自作の衣装で荒川静香に扮し、その年に大流行したイナバウアーをしながら会場を練り歩き祝辞を述べる、というもの。その珍奇な演し物の後に素敵な出来事なんて起こるはずはなく、仲間に言った一言はそれを踏まえてのジョークだったのだ。

 二次会を終え、皆と別れて家路に就こうと深夜バスのバス停まで歩き出すと、後ろからIさんがやってきた。彼も同じ路線に乗るというので2人で歩き出す。10歳年上のIさんとは新郎である友人を通じて、新年会やら忘年会やらで顔を合わせることがしばしばあった。独特のユーモア感覚で話す彼は気になる存在だったのだ。

「せっかくだから、一杯だけ飲みますか」

 バス停に着く手前で、Iさんは近くに好きな店があると言った。わたしはいいですね、と返事をした。


 バス停を通り過ぎて大通りを曲がると現れた、蔦に覆われた店がそれだった。「店」というより「小屋」のような。小学校の時に読んだアーノルド・ローベルの「ふたりはともだち」に出てきそうな、そんな佇まい。

 「since 1986」と刻印のされた重くて分厚い扉。店内をポツポツと照らすオレンジのテーブルランプ。ブランデーの瓶底に沈んだような、薄暗い店の奥でIさんとわたしは小さなテーブルに横並びで座った。いも焼酎とビールを前に結婚式の雑感やIさんが最近読んだという「陰日向に咲く」について話す。

 わたしは、トマトパスタを食べなくてよかった、と思った。まさかIさんと肩を並べてお酒を飲む夜になるとは。初めて確認するIさんの肌質、茶色い瞳の色、タバコを吸う唇の輪郭。トマトパスタをよそう手を止めた時に降りてきた勘はホンモノだったんじゃないか。無理をすれば食べられた。でも、食べなかった。今までで一番美味しいと勧めてくれていたのに。

Iさんはグラスのいも焼酎をクイッと飲み干すと、私の目を真っすぐ見て言った。

「じゃあ、行こうか」

 どこに? 思わず口を出そうになった言葉をグッと飲み込んで、黙って店を出るIさんの背中を追いかけた。

 Iさんは店の前でタクシーを止め、わたしに先に乗るよう促し、そして「オレ、もう一軒寄ってから帰るわ」と言って手を振った。

 右手に引き出物の白い紙袋、左手にイナバウアーの衣装が入ったトートバッグ。

 流れ出した車窓から夜の街を眺めながら、後悔した。トマトパスタは食べるべきだったと。そして、こんな気持ちに寄り添ってくれる行きつけのBARくらい持っておくべきだった、と。

しまおまほ

1978年東京都生まれ。エッセイスト。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ『女子高生ゴリコ』でデビュー。主な著書に『しまおまほのひとりオリーブ調査隊』『まほちゃんの家』『スーベニア』『家族って』『しまおまほのおしえてコドモNOW!』などがある。

*記事内には飲酒や飲料店に対する著者の個人の見解も含まれています。

このサイトはお酒に関する
内容を含んでいます。
あなたは20歳以上ですか?
サイトを閲覧する
いいえ
「20歳未満とお酒」
サイトへ