
酒場の「声」
いい酒場、記憶に残る酒場ってなんだろう。各界の一流が綴る、忘れられない酒と酒場の物語。第3回は俳優の佐藤二朗さん。
芝居をやっていなければ、ただの赤提灯好きのオヤジである。芝居をやっていても、ただの赤提灯好きのオヤジであるが、そんな僕に「思い出の酒場」についてのエッセイ依頼があった。1000字前後でと言われたが、50万字くらいになってしまう恐れはあるものの、大好きな酒場についてということで、お受けすることにした。
むかし僕が住んでいた町、高円寺。本当にあの頃は、週8日ほど飲み歩いていた。「飲め~、飲め~、飲むんだ、ジョー!(CV丹下段平)」と町全体に言われてる気がした。
飲み歩くのを町のせいにしてはいけないし、何より僕はジョーではないが、それくらい高円寺には、魅力的な酒場が沢山あった。
シャイで寡黙な大将(確か、僕の父親と同い年)がやっていた焼き鳥屋〈せんぼん屋〉。じっくりと煮込んだもつ煮込みは絶品だった。
気さくな同年代のマスターがやっていたダイニングバー〈ビゴーテ〉。BIGOTE(口髭)が渋いマスターは、一見怖そうだが、話すととても愉快な人だった。洋風の料理も大変美味しく、お酒も多様な取り揃えだった。
大一市場の一角にあった居酒屋〈アスタマニャーナ〉。小さめの店内は、いつも常連客で一杯だった。お客さんの平均年齢が高く、当時30代後半の僕はひよっこ扱いで、それがまた心地よかった。
実は、僕が好きになる酒場には、共通点がある。
「声」だ。どの酒場も、店主の「声」がいい。酒との相性がいい「声」。酒の肴になる「声」。その「声」を聞いてるだけで、酒が旨くなる。上に書いた3つの酒場、それぞれ店主の声は違うが(当たり前)、それぞれに、一日の疲れを癒してくれるような、酒がしんみり体に染み入るような、そんな「声」を持った店主だった。
しかし、その「声」を聞くことは、今はもうない。〈せんぼん屋〉の大将は、もう10年ほど前に鬼籍に入られた。
〈ビゴーテ〉の口髭が渋いマスターは、東日本大震災の影響や、ご家族の事情などにより、故郷の鹿児島に移住された。
間もなく古稀を迎える〈アスタマニャーナ〉のマスターは、コロナ禍の影響下でも必死に踏ん張っていたが、今は店を閉め、とある企業の社員食堂で料理の腕を振るっている。
先日、所用で高円寺に行き、それぞれの酒場の跡地を訪ねた。
違う酒場になってたり、違う業種の店舗が入ってたり。だが、感傷的になっているわけではなく、いや少しは感傷的になっているかもしれないが、その場所に赴くと、僕の耳に、その「声」が届く。
「じろちゃん、こないだの撮影、うまくいった?」「二朗さん、うまいカンパチ入りましたよ。切ります?」「俺も佐藤さんくらいの歳に結婚を決意したんだよなあ」
「あんまりハシゴすると奥さん心配するぞ。ほどほどで帰りな」
その「声」たちは、温かく、遠慮なく、いつも酒と共にあった。
あの頃、酒場でワイワイ愉しい時間を過ごした、過去の自分を大切にするためにも、僕はなるべく、その「声」を忘れないでいようと思う。
さとう・じろう/1969年愛知県生まれ。96年に演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げ。作・出演を担当し俳優活動を開始。主な出演作は、ドラマ『ひきこもり先生』シリーズ、映画『変な家』、『あんのこと』など。映画『はるヲうるひと』では原作・脚本・監督を務めた。出演した映画『爆弾』が2025年10月31日より全国公開予定。
*記事内には飲酒や飲料店に対する著者の個人の見解も含まれています。