Vol.2『ロング・グッドバイ』

ロング・グッドバイ
『ロング・グッドバイ』 レイモンド・チャンドラー、村上春樹訳、早川書房
年配のバーテンダーが通りかかり、薄くなった私のスコッチの水割りをちらりと見た。私は首を振り、彼は白髪頭を縦に振った。まさにそのとき、夢かと見紛う美しい女が店に入ってきた。一瞬、まわりの物音がすっかり消えてしまった。
スコッチが呼び寄せた絶世の美女。

 私立探偵フィリップ・マーロウが、複雑怪奇な事件に巻き込まれるハードボイルド小説だが、印象的な出来事のほとんどは酒場で起こると言ってよい。実際、序盤でマーロウが物語のキーマンとなるテリー・レノックスと友情を育むのは、毎晩のように酒を酌み交わすバーでのことだ。「夕方、開店したばかりのバーが好きだ。店の中の空気もまだ涼しくきれいで、すべてが輝いている」と語るレノックスは、こう言葉を継ぐ。「しんとしたバーで味わう最初の静かなカクテルーー何ものにも代えがたい」。

 そんなレノックスが姿をくらました後、マーロウが失踪した作家の捜索依頼を受けるのも、ホテルのバーだ。そして、遅刻する依頼者に苛立つ彼が、スコッチの水割りを飲みながら不意に目にするのが、この光景。まるで薄くなったスコッチが呼び寄せたかのごときこの絶世の美女は、のちにレノックスと浅からぬ関係にあることが判明するだろう。

 しかし、比類なき存在感でバーの物音をすっかり消してしまうというこの描写は、しんとしたバーが好きだと語るレノックスの言葉とどこか似ており、2人の関係をあらかじめ暗示しているようにも見える。その後、マーロウはこの2人に大いに翻弄されることになるのだが、事件が賑やかしくなるのと足並みを揃えるように、彼がウイスキーを飲む状況も静寂さから遠く離れていく。その意味でこの光景は、マーロウが静かなバーでまがりなりにもウイスキーを味わうことができた、最後の瞬間だったのかもしれない。

『ロング・グッドバイ』
レイモンド・チャンドラー、村上春樹訳、早川書房

私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とする長編シリーズの第6作。ある日、マーロウは友人レノックスに頼まれてメキシコへ送り届けるが、帰宅すると妻殺しの容疑でレノックスを捜している警官が待ち構えていた。共犯者として取り調べを受けるマーロウだったが、しばらくするとレノックスが自殺したことが判明し、釈放される。その後、失踪した作家の捜索を依頼されたマーロウは、その事件とレノックスが関係していることに気づくのだった。

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