Vol.6『証拠』

『証拠』ディック・フランシス、菊池光訳、早川書房
『証拠』 ディック・フランシス、菊池光訳、早川書房
私はウィスキイをほんの少し含んで、ゆっくりと舌の奥まで流れるに任せておいた。ウィスキイは、前歯にくっついた舌の先の味蕾でなく、舌の両脇と奥でなでなければ味の判断はできない。
推理小説に学ぶ、ウイスキーの味わい方。

 ハードボイルド推理小説の主人公は、クールではあるがよく喋る。心の声の場合もあるが、いずれにせよお喋りだ。ありがたいことに、解説書なんかを読むのと同等の知識を、物語を通して得られることもあって、それもまた、推理小説を読む楽しみのひとつだろう。もしサスペンスを楽しむとともにウイスキーについても知りたいなら、ディック・フランシスの『証拠』を読めば間違いない。

 主人公のトニイ・ビーチはワインに強い酒屋だ。彼はその類いまれなる利酒力を警察に買われ、銘柄を偽ってウイスキーを出している疑いがあるレストランに連れて行かれる。結果としてみるみる巨大な陰謀の渦に巻き込まれていくのだが、その推理の際に披露される知識は、なかなかどうしてためになる。

 例えば、何か別のものをラフロイグとして売っている店に連れて行かれたトニイは、まず「スコッチをもらおう」と言う。何してんだと戸惑う警察を「物事には順序がある」と宥める彼は言う。「下から始めて、次第に高級な品物に移って行く。ワインを試す時の賢明なやり方ですよ」と。そして、心の中で語るのがこの言葉。なるほど、ウイスキーとはこう味わうものなのか。

 その後、このスコッチを偽物だと断定した彼は、ビール党の警察にスコッチ・ウイスキーの作り方をゼロから詳しく説明してくれる。かなり長文になるので、気になる向きはその目で確かめてほしいが、そうやって作られていたのかと膝を打つに違いない。続いて飲んだ本丸のラフロイグも偽物だと見抜いた彼はこう告げる。「絶対に間違いない。ラフロイグは、特に煙の香りが強いのだ。ピュア・モルトだ。今私が味見をした物にはモルトはほとんど入っていない。前と同じウィスキイだ」。

 ここまでウイスキーに対する見識が深まる推理小説も珍しい。それは作中の登場人物も同じ意見らしく、実際、トニイはこんなことを言われる。「君は、ワインばかりでなく、知識を売っているようだな?」。今やここにウイスキーも含まれるのは明らかだが、対するトニイの返事がまた洒落ている。

「そう。それに、楽しみを。それに、話し合い。スーパーで買えない物すべてですよ」。

『証拠』
ディック・フランシス、菊池光訳、早川書房

ひょんなことからフェイクボトル事件に関わることになった酒屋のトニイが巨大な陰謀に巻き込まれていく。著者のディック・フランシスは、障害競馬騎手として大活躍した後、引退して推理小説家になったという珍しい経歴の持ち主。

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